久しぶりの投稿です。
こんにちは。スピでくのぼうです。
このブログは宗教はまったく関係ありません。
スピリチャル、精神世界のジャンルが好きな方を対象にさせていただいております。
「そんなことはないやろ~否定して攻撃してやるぜ!」と思う方はご遠慮いただきますようにお願い申し上げます。
死んだら終わりですか
今、この本を読んでいます。
まだ途中なんで感想は言えませんが、震災後のメンタルケアの章がけっこうそうだねーと思うところがあります。
被災地の机に書かれたメッセージ。
あの日 大勢の人達が津波から逃れる為に この閖中を目指して走りました。
街の復興はとても大切な事です。
でも沢山の人達の命が今もここにある事を忘れないでほしい。
死んだら終わりですか?
生き残った私達に出来る事を考えます。
死んだら終わりなのか?
電池が切れたおもちゃなど動かなくなったものは捨ててしまう。
人間は動かなくなったらそれでおしまいか。
それについて思っていることをダラダラと書いていきます。
感じる心に蓋をしている世の中
体質として共感能力が高いので色々な思いを共感してしまいます。
それはそれでしんどいのでその能力に普段は蓋をしています。
しかし、皆さん本音のエネルギーをきちんと受け止めて生きてない人が多いですから、その本音のエネルギーが見えてしまう。
どんなに隠してもわかる人にはわかります。
皆さん、どうしようもない哀しみを抱えている人がまあ多いこと。
これは中原中也の詞でいうと汚れちまった哀しみというものでしょうけど。
だれか私を救ってほしい。救い出してほしい。
その哀しみをなんとかしてほしい。
ほしい、ほしい、ほしい。
自分でなんとかするしか道はないのでどうしようもないのですが、それがわからない人が多すぎる。
自分の哀しみと向かい合っている人が少ないのです。
自分の哀しみと向かい合っている人が人の哀しみをなんとかできるのか。
できるわけがない。
一緒に穴にドボンと落ちて助けてほしいともがき続ける。
それをしたくないから感じる心に蓋をする。
開くことはない。蓋をし続ける。
綺麗にすればそんなものはわからなくなる。
忘れてしまう。
忘れるとしても思念はそこに残ります。
それを知らない人がそこを通りその思念と共感して出口が見えない迷路にはまる。
なにがあったかを綺麗にして誤魔化さないほうがいい
広島の街があります。
原爆からもう何十年もたってますから復興されて綺麗になってます。
しかし、思念は残っているのです。
私が広島の街に観光で訪れた時、突如と悲しみが襲ってきました。
そして、水の中に入って熱い、熱いと叫んでいる人たちの姿が脳裏に浮かんできました。
その時、わかりました。水は冷たくなかったのです。熱湯のように熱かった。
しかし、水は冷たいと思って熱くなった体をさますのに皆、川の中に飛び込む。
冷たいと思っていた水は熱湯となっていてなんともいえない思いを抱いて無くなっていました。
そんなの川に入って死んだ人は皆死んでいるのですからそんな事実は知りませんし、だれも共感できません。
しかし、その気持ちが見えてきて「熱かったんだね、熱かったんだね」と共感するしかない。
そんな気持ちに寄り添いながら広島の街を歩きました。
私にできることはそれくらい。
原爆ドームは無くさないでほしいな。
そんな思いが湧いてきました。
どんだけ町を綺麗にしても浄化できてない思念はそこに残り、その思念は次の段階にいくときが来ない限りそこに残る。
次の段階に行くのはいつかという話になるんだけど、それはわからない。
ただ、原爆の熱は水はどれくら温度を上げるかをだれか研究してくれる人が現れてその人がそれを世間に知らせてやっと川で亡くなった人たちは浄化できるんだろうけど。
それぐらい原爆というのは私達の想像をはるかに超えた状態になるというのを理解する必要があるんだけど、その理解する方法がまた再び浴びるという選択を人はしているという。
戦争にしても震災にしても亡くなった人たちの思念を理解できるかといえばその人たちの思念を感じないように生きるように教育されてきた人たちはわからず。
傷つけられた人たちの思念は傷つけた人には届かず。
同じ思念を持った人にとりつき、身体を使えることをいいことに操る。
操られた人は自分の思念と勘違いし。
そんなことを繰り返す。
憑くという状態を現実として受け入れる
憑き物筋があった。
しかし、その筋を今はきちんと学校で教えない。
漫画でヒーローのように知る。
それはそれでいいんだけど、それが現実としてあるという事実を今はわからない。
脳神経のせいだのなにかのせいにする。
食べ物にも憑く。思念は憑く。
哀しみを持ちながら作ったものを食べると哀しくなる。
怒りを持ちながら作ったものは怒りが体に入る。
無気力で作られたものは無気力が入る。
そんなことはだれも考えない。
ただ、結果だけ。
必要なのはただ結果だけ。
心はどこにいったやら。
死んだら終わりではない
これをいかに理解するか。
科学的にするのか。
英国のように幽霊と共に生きる社会を作り上げられるか。
宗教でなくいかに日常として取り扱えられるか。
東北から変わるか。
死んだらどうなるかなんて死んでみないとわからないけど、どうやら思念は残るようだよ。
- 作者: アンドゥーリー,Anne Dooley,近藤千雄
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